私は1991年にインターネットをはじめた。当時はまだ商業インターネットが日本ではなく(多分、アメリカでもまだだった)、一般にはパソコン通信だった。アメリカまでアクセスすればそれなりにコンテンツはあったが、どちらかといえばコンテンツよりプロトコルのためのもの、つまり「遠隔イーサネット感覚」だった。

それはともかく、私が自宅でインターネットを可能としたのが、2000年の夏だった。56kbpsのアナログモデムで、ISPはVAIO Network Service。56kbpsアナログが一般的で、電話線(RJ-11の電話回線)を使ったPPP接続だった。そのため、一般に市内にあるISPのアクセス・ポイントに接続するため、市内通話料金が時間(23-8)内定額となるテレホーダイというサービスが不可欠で、この時間はトラフィックが集中し、ISpへの接続が難しくなるばかりか、各サーバーも、今のようにサーバーの処理能力の問題ではなく、サーバー側の回線が極めてナローだったために、アクセス集中ですぐアクセスできなくなる状態だった。

そんな時代、流行はチャットで、頻繁に流されるISPのTVCMでも、よくアピールされていたのはeメールとチャットだった。つまり、未だ知らない人とコミュニケーションができる、というのがウリだったし、それは比較的密な、近い距離感の話だったし、またプライベートなものでもあった。

the Internetは軍事研究からはじまったものの、割とすぐに軍のプロジェクトからは外れている。しかし、そもそもまだ軍のプロジェクトにあった頃から、かなりHacker文化の持ち込みが目立ち、「誰かが統率する形をとらない」「知識や情報は共有するもの」といった点が特に強調されていた。全体に、Hacker文化がそのまま持ち込まれている。極めて差別意識を持たないhackerらしく、平等についてもかなり力がいれられており、非常にオープンなものでもあった。

the Internetの基本的な文化とは、そのオープンであること、自由であること、平等であることにあったと言っていい。押し付けるのでなく協調と自然淘汰によって形成されていくものでもあった。まるで誰もが友人のように接し、そこに肩書や関係を持ち込むのはひどく嫌われた。結果として、ネットの空間は現実と切れはなされるべきか否か、という対立も生んだ。

そうした牧歌的で誰もが友達であった時代は終わりを告げる。引き金となったのは、当時の森首相による「IT革命」によって、学校での情報技術教育が必修となったことなどによるネット人口の急激な増加だ。これは、継承の不全を生じたばかりか、これに対応するために権威を仕立てあげる必要があり、そこでかなり恣意的な「ネット常識」の形成が行われたのだ。

それによってネットのコミュニケーションチャンネルは激しく荒れ、うんざりした旧来からの人々が一気にいなくなってしまった。私のコンタクトリストからは、残ったのは1人だけだった。そして、この状況に私は足をとられることにもなった。

しかし、ネット文化の崩壊といしう点では日本に限った話ではなく、また日本はこれをきっかけに司法がインターネット空間に線を引いたことにする暴挙に出たが、外国でも結局は遅かれ早かれそのような自体が起きている。ネットに対して商業主義の流入は避け得なかったともいえるし、そうなれば結局は今のような姿に辿り着いたようにも思う。

それにしても、インターネットの平等や自由の文化は一体どこへ行ってしまったのだろう。

私の活動エリア上の問題かもしれないが、コンタクトを制限する傾向があまりにも強く見られる。e-mailを受け付けない傾向、あってもせいぜいが問い合わせフォームで、そのフォームの利用も制限するといったことや、個人であっても応答を制限するポリシーとなっているようなことが当たり前にある。これは明らかに本来のインターネットの理念と反しており、あまりにも「ネットらしくない」。そこに、私はかなり強い反発を覚えている。

だが、あの日は戻らない。インターネットの文化、理念が省みられる日もこないだろう。できることならば、人々にそのことを考えてみてほしいと思うのだが。

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