私には「攻略したい」人がいる。

私の言葉で心を揺さぶり、私の存在がその人の中でモチベーション(動機)となるようになりたいと思う人が。

もっとも音楽家にとってそれは日常的な感覚だとも言える。音楽を届ける段階で、相手(抽象)の心をいかにつかみ、ゆさぶるかということを考えて作っているのだから。人の心に入り込みたい、つまり人の心を欲しがる気持ちは、音楽家の性だとさえ言える。

私に対して関心がない人の心を私に向けて、そして私の言動で支配したい(※影響を与えたい、という意味)というのは、まさに「攻略したい」なのではないか。

もちろん、日常的感覚なのだからその人だけではなく、割と頻繁に「この人を攻略したい」と思うわけだが、特別にその気持ちが強い人がいる。理由はシンプルで、可能ではあるが困難だからだ。可能ではあるというのは、「こちらを向いている」ということで言っている。さすがに、全く見向きもしない人に対しては働きかけが成立しないため、それは不可能なのだ。

そのための行動はまるで口説いているかのようだが、そうではない、ということを力説しようとして、結局口説いているのだということに気付く。別に異性交際に発展したいといったことではないのだが、「相手の心が欲しい」という言動は、「口説いている」に相違ないのではないか。ましてや、相手の体だけを要求して向ける言葉が「口説き」になるのなら。

さらに考えみれば「心が欲しいだけで別に異性交際に発展することを望んでいない」というのは、単に体だけを要求するよりもよっぽど残酷なような気がする。もっとも、私は、心を奪われたのだからその責任をとって交際せよ、というのなら誠実に対応させて頂くが(その場合、心のみならず体も未来も絆も全て差し出していただくことになるが)。

私が「王子樣」というのはこのあたりにある。ひどいエゴイズムだと、自分でも思う。

それでも、それが私の流儀だ。愛されたいのならそれを厭わないが、あくまで私のやり方、私の流儀でだ。私が幸せにするのではない、私で幸せになってくれ、という言い方をする。

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