歌うこと、演奏すること、その心

playとは、つまり人の心に届けようとするものだと思う。自分が気持ちよければ良いという人もいるが、やはり独りよがりな演奏はどうしても「分かる」。超絶技巧であっても、「俺を見ろよ」「俺の演奏をきけよ」というのでもいいので、相手を対象にしたものがないと、やはり響かないのだ。

人を感動させたいとか、人を楽しませたいとか、人の心に響かせたいとか、そういう感情はつまりは相手の心を自分の意に染めたいというものだろう。傲慢に、無理矢理に相手の心を手に入れようとしているのだ。自分のパフォーマンスによって。

能力に裏付けされた範囲で、その気持ちが強いほうが、やはり人の心には届く。つまり、本気で熱の入ったplayをしているミュージッシャンというのは、極めて残酷で邪悪で純粋なエモーションで満たされていることになる。逆にその境地まで入っていないと、どうしても上滑りした、小手先のplayになってしまうのだ。

私でも、いまいち入っていないときは、どうしても「うまくこなすこと」に意識が行く。相手の心を掌握したい、相手の心を支配したいと、相手の心を強く欲する時というのは、かなりパフォーマンスに入れているときで、気持ちだけのも問題ではなく、やはり調子自体がよくないと自分のパフォーマンス自体に意識がいってしまい、無難かつ小器用にやっているだけになってしまう。

音楽家が新の音楽の意味を追い求める時、普段人が踏み入れることのないギリギリの感情になる。

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