彼女とお母様がこの件でやりとりしたらしい。まぁ、それでちょっと調べてみたところ、かなりツッコミどころが大きかったので、言及しておこうと思う。

報道の自由?

そもそもこの事件を誘発した原因というのが、NHKのニュースによると

乱射事件のあった新聞社「シャルリ・エブド」はパリの中心部にあります。

周辺には18世紀の建物が並び、美術館や博物館が多く、観光客が訪れる地区もあります。

時事問題を風刺をきかせた記事で伝えることで知られ、2006年2月、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺する漫画を特集した際、イスラムの団体から「イスラム教への偏見を助長する動きだ」として非難を受けました。

また2011年11月には、中東の民主化運動「アラブの春」の特集を組み、イスラム教の預言者ムハンマドを紹介したうえで、「これで笑わなければ、むち打ちの刑だ」というせりふとともに風刺画を掲載しました。

週刊誌の発売直前にこの風刺画がホームページで紹介されると、新聞社には「イスラム教を侮辱する行為だ」として、さまざまな抗議や脅迫があり、火炎瓶が投げ込まれ建物の内部がほぼ全焼する事件もありました。

さらに2012年9月にもムハンマドの風刺画を掲載し、預言者の裸の姿のほか、「笑い飛ばそう」という見出しをつけ、週刊誌の責任者は笑うことの自由は法律で認められ、暴力によって止められないというメッセージを寄せました。

これに対しイスラムの団体から「イスラム教徒の感情を故意に害している」として強い非難を受けていました。

さらに朝日新聞によると、「シャルリー・エブド」は数万部を発行。これまでも、ムハンマドを女性に見立てた半裸のイラストを掲載するなどし、ともある。真実は私にはわからないが(というよりも検証していないが)、少なくともイスラムに対してかなり挑発的かつ侮辱的な行為を繰り返してきたのは事実なのだろう。

このように文化をあげつらい、さらに歪曲し、卑猥なものに変換するなどして貶める行為は、「報道」ではない。これは人権の侵害である。

そもそもヘイトスピーチは国際的に禁じられているはずだ。ここでフランスが移民の多い国であることを思い出して欲しい。「異物」である移民(他人種)を貶めることで排除しようとすることは、まさにヘイトスピーチと同じ行為であり、差別そのものだろう。

それを、発行物だから「報道の自由だ」「言論の自由だ」というのは(あるいはイスラムに対するものだから、かもしれない。事実、人権というものは欧米の一部の国が主導するものだ)、ヘイトスピーチを禁止することと完全なダブルスタンダードではないか。

また、手を出すように侮辱し、挑発し、虐げることを繰り返して、やり返したらやり返した方を一方的に悪者にすることにも非常に強い違和感がある。自業自得ではないか。そもそも、虐げられる者に虐げる者のフィールドで戦うことを強いること自体が虐げることだろう。

テロ?

首脳はテロと言っているし、それに倣う報道機関もあるようだが、明らかにこれはテロではない。そのためか、報道も徐々に「襲撃事件」など言い方を考えるようになったようだ。

さて、そもそもテロの定義に関してだが、かなり複雑だ。なぜならば、テロといえば完全悪であり、その是非を議論すること自体を許さない、ということが正当化されてしまうため、テロというレッテリングが非常に強力であるためだ。今回は、そのような思想的対立について「身内をかばう」立場から相手を一方的に悪者にするために「テロ」と叫んでいる側面が強い。

ただし、最低限必要だと考えられること、すなわち必要条件としては

  • 政治的に目的において行われること
  • 暴力的であること

は間違いない。また、そもそもが虐殺から来ているのであり、「大量」かつ「特定の対象に対する無差別」であることも必要条件と考えていいのではないかと思う。

だが、今回の場合、仮にイスラム教徒の報復的犯行だったと仮定したところで、それは長年虐げられてきたことを暴力的手段を以って報復した、というだけのことにすぎない。そこに政治的目的は全く見いだせないのだ。ものすごく短絡的に言えば「いじめられてきたのでいじめっこを殺した」という話だ。事実、無差別性がないことについては、侵入した上で相手を確認し、特定の相手を狙って(巻き添えはやむなしとして)襲撃している。テロとは明らかに異なる。

「テロとの戦い」と言い出して以降、為政者が不都合な相手が自分が用意した(相手が絶対に覆せないと分かっている)フィールド以外で戦うことについて、思考停止するように要求し、それを正当化するとともに実現する手段として安易に「テロ」という言葉を使いたがることには、非常に強い危機感を持っている。

しかも、相手をテロと呼べば殺害しようが拷問にかけようが全て正当化されている、という事実にも目を背けてはならない。

犯人について

昨日、この事件について調べた限り、容疑者は挙がっているが、その犯行の裏付けは不十分であり、現時点で犯人であるとみなすことはできない。推定無罪の原則をないがしろにしてはならない(日本人はほとんど考えないが)。

そして、容疑者を犯人だと仮定したところで、「イスラム教の犯行」というのは「そうにちがいない」という話であり、偏見と差別に基づくものだろう。

まず、「イスラム教徒」と「イスラム過激派」は全く異なる。その思想的対立も大きい。さらに、イスラム教徒にみせかけるのが目的かもしれないし、それを隠れ蓑に使った可能性もある。単にこの事件の化けの皮としてイスラムを使ったということではなく、例えば暴力的なことがしたい、もしくは武力によって金を儲けたい、といった目的のためにイスラム教徒を名乗ってイスラムを利用している人種…ということも考えられる。

安易な決めつけは単なる偏見であり、迫害のもとである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA