盗作か否か

盗作の可能性は低いと私は思う。

デザインとしてまっとうだし、むしろつまらないとすら思うくらいだ。 類似するデザインが存在しても不思議はない。

盗作かどうかを分けるのは、偶然に似ているかどうかではない。 元となるものを知っていて、それを盗んだかどうかだ。

デザイン

デザインをするというのは、十分に特殊技能である。 芸術であり、才能もいるが、まず知識と技能が求められる。このあたりは幅広く芸術技能に共通するものであり、絵でも写真でも音楽でも同様である。

ロゴデザインというのは、非常に制約が多い中で行われる。 ロゴデザインができるからすごいというものではなく、問題はその品質である。 制約の中で要件を見たし高い機能を持たせることができるかといった製品品質が求められるのだ。 デタラメに音を鳴らすことなら誰でもできる。だが、それでプロフェッショナルな作曲家になれるわけではない。 デタラメな絵を描くことなら誰にでもできる。だが、それでプロフェッショナルな画家になれるわけではない。 写真が取れればプロフェッショナル写真家になれるわけでもない。同様に、デザインができればプロフェッショナルデザイナーになれるわけではない。

まず、その技能に対するリスペクトが必要だ。 好む好まざるにかかわらず、まず相応の技能を備えていることに対する敬意を払うのが良識というものだろう。

「子供にデザインをさせればいい」「デザインにお金をかけるなんておかしい」という発言に至っては、もはや文明的ですらない。 デザインが児戯であると見くびっている上に、子供の芸術には対価を払う必要がなく搾取して当然であると考えているからだ。 それは、児童ポルノに対して騒ぐよりはるかに問題である発言だ。子供の生産に対して対価を払うことなく商業的に利用しようというのだから、児童ポルノよりもはるかに直接的に「消費」している。

だが、一方でプロは技能に驕ってはならない。 今回の騒動で、「デザインのわからない素人が」というデザイナーが目についた。 だが、それは最もあってはならないことだ。

デザインというのはBtoBの世界ではない。一般に広く訴えかける作品だ。 わかる人だけ分かればいいという、絵画や芸術音楽(特に現代音楽)とは違う。 大衆音楽同様に、広く一般に受け入れられてはじめて価値を持つものだ。 審美眼を問いたいのであれば、それを前提として満たした上で、一般の審美眼を養う作品を出していくなり、あるいはデザインとはこうであるということを分かりやすく伝えていくのがその責務だ。

技能に驕り他者を見下す者はクリエイターとしてもアーティストとしても三流でしかないと私は考える。 その創作で納得させるだけの力もなく、貶すことによってしか矜持を保てないように映るからだ。

それが最もやってはいけないことであることは、冷静に考えればわかるだろう。

コンピュータエンジニアは、ついつい技術的な追求に走り、その実使いにくい、顧客のニーズに合致しないソフトウェアやシステムを作ることがある。 技術的に良い、あるいは挑戦的であっても、目的とする機能を損失することがあってはならないのだ。 これがより顕著に出る例としてはウェブデザインが挙げられる。 洒落たデザインを追求した結果、使いにくく、直感的でなく、本質的な内容が伝わらないものになることは非常に多く、機能を十分に果たさないという問題は非常に多く叫ばれており、エンジニアは技術に走るな、デザイナーはデザインに走るな、というのが教訓として語られる。

ほかにも、見た目は良いが居住性が低く性能も出ず安全でもないカーデザイン(ちょっと昔までは普通にあった)や、機能性に乏しくまともに使えないインダストリアル・デザイン(今でも溢れている)だって存在する。 デザインはデザイナーの自己満足ではならないのだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA