メディアの空疎に見る人間の空疎

事の起こり

近年その傾向はあったけれども…

話としては、Twitterがテストしている新UIが迷走を極めていることだろう。 Twitterは「文字を読めるか読めないかのギリギリまで小さくする」ということを試しているらしい。

「読めそうで読めない文字」ほどストレスのたまるものはないので、UXとしては最悪といっていいだろう。 近年ウェブが標準の文字サイズを確定しなくなってきたというのに、なにを考えているのやら…1

ギズモートの記事を読むと、ため息が出てしまう。 Twitterの迷走に、ではない。記者の愚かさに、である (念のために言っておくが、これは翻訳記事だからギズモード・ジャパンが悪いわけではない)。

情報を捨て去る人々

確か10年ちょっとくらい前だったと思うのだが、ADSLやFTTHといった高速回線の普及(正確に言えば世界的な回線の高速化)に従って「文字情報をなくす」傾向が生じたことがあった。このときにはユーザーが「ウェブ上で何を見ているか」という調査が行われ、「基本的には画像ではなく文字を見ている」という結論が出ている。 これは重大な教訓となったはずである。

基本的に補助コンテンツよりも文字情報という整頓された情報に意味があるし、本質的にウェブにおいては有意な情報を求めているということが明らかだったわけだ。 ところが、これを軽視する傾向は局所的なものではない。 YouTubeやInstagram、あるいはTikTokといった情報性のないメディアの流行はその一部と言えるだろう。 YouTubeの場合はコンテンツとして意味ある情報を持ちうる(つまり何をみるかの問題だ)のだが、その他は知性に乏しいメディアと言えるだろう。 (否というのであれば、そのメディアのユーザーがそのメディアからいかなる知性を獲得しているのか教えてほしい)

だが、現実にはそのようなメディアが隆盛を極めているのが現実だ。 これは、言ってみれば人類は大部分(少なくとも、それだけを相手にすることが商業的に価値があるとみなされる割合で)は知性のない愚者である、ということが証明されている、と言えるだろう。 わかってはいたが、これはなかなか切ない。

だが、そんなことはとうにわかっていたし、私としても諦めているので、重要なのはそこではない。 問題は「コミュニケーション」というものそのものについてである。

Twitterはコミュニケーションツールである。 双方向性を見失った人の話は依然したことがあるが、それは本質的にTwitterがコミュニケーションツールであることに由来する問題である。 そうでないならそもそも双方向性という概念は生まれ得ないのだから。

だが、文字を読みづらくする、ということはコンテキストをより無視させるということだ。 発言は存在しているが、目に止まることは基本的にない。 Twitterでさえも基本的にある発言は特定のグループ内でのみ流通し、他グループとの間には断絶があることがわかっている。そのように恣意的に断絶された情報というのはコミュニケーションではなく、消費性コンテンツである。なぜならば、それによって新たになにかが交換されていないからだ。

文字を読みづらくするということは、「よほど強く読みたいという意思を持っている人以外には見られない」ことを意味する。 もちろん、私のような特に知り合いがいるわけでもなく、フォロワーが多い人の発言は誰も見ないものになるだろう。 こうなると、Twitterは「単なる声の大きい人の広告ディスプレイ」になることを意味する。 これはもはやコミュニケーションメディアではない。そして、少なくとも私は広告や有名人の宣伝をみたいわけではない。

コミュニケーションについては私は長年研究しているのだが、基本的に再現に成功しているモデルは「多チャンネル接続」だけである。 人と人はコミュニケーションをとろうとするとき、局所的なチャンネルを任意の量接続する、というシミュレーションだ。 双方向チャンネルでつながっている要素は会話が噛み合うが、つながっていないと無視したり、すれ違ったりする。コンテキストを検出する上でこの構造は極めて重要な意味を持っている。 私は、これが単なる意思の一致ではなく、なんらかの接続を物理的に持っている可能性もある、と見ている。実際、心理術では直感的にひっかかりを覚えることで読み取るべき要素を絞り込む、ということは普通に行うため、接続状態は明確に存在するのではないか…あまり自信のある説ではないが。

だが、近年こうした「有意なコミュニケーションケース」というのがものすごく取りにくくなっているという事実がある。 コミュニケーションというのは結局のところ交換なのである。情報伝達だ。だから、言語でなくても、例えば恋人同士のスキンシップもコミュニケーションであると考えることができる。 だが、それは必ず双方向性を持たねばならない。コミュニケーションとブロードキャスティングは違うのだ。

意味と双方向性を持って行われるコミュニケーションが、もっといえばそもそも明瞭な指向性をもった行為がすごく希薄になっている。 これはコミュニケーションの断絶(discommunication)ではない。なぜならば、チャンネルを接続しないままコミュニケーション様の行為自体は行われているのだ。だから、コミュニケーション断絶ではなく、疎コミュニケーションと呼ぶべきだろう。

そして、社会的に疎コミュニケーションを是とし、密コミュニケーションを悪としようとしている。 人が人と関わることは悪である、という考え方だ。 実のところこの方向性自体はコミュニケーションに限ったことではなく、ここ30年くらいで一方的に進行してきた方向性でもある。

TwitterやFacebookがコミュニケーションを排除し、一方的な発信を指向し、またそれも意味のある発信ではなく脳を使わないもの2にシフトしている。

つまり、これは人間の退化を端的に表したものといえるだろう。 これはもちろん、私が人間が人間たる所以は知性と思惟にあると思っているからだが3、知性や、理解や、親愛や。つながりを放棄することこそが正義である、というほうこうに世界は進んできた。 このことを説明するのはなかなか難しい。いや、説明すること自体はそれほど難しくないのだが、説明したところで拒否感を持って受け止められるからそもそも話を聞かない人がほとんどで意味をなさない。そのこと自体がその一部に含まれる行為なのだ…ということが、知性と理解を持っていればわかるだろうが、残念ながらそのこともわからないので、結局再帰的に補強にしかならない。

人とつながりたい原始的動機は?

そのことについてどうこう改めて言う気はない。私は諦めているから。 けれど、単純に疑問なのだ。「そんなにコミュニケーションはいらないか?」と。

私は、一番嫌いなものも、一番好きなものも人間である。 根本的に人と話すのが好きだ。意見が合っても合わなくてもコミュニケーションが成り立つ相手となら(つまり双方向性を持つ相手となら)いくらでも話していられる。 だからチャットは私にとって桃源郷だった。いろんなことを、いろんな人と、いくらでも話していられるのは私にとっては理想世界なのだ。 それが私の個人的なことだとしても、「人は誰とも本質的につながっていない状態」を辛いと感じないものなのだろうか。

もしかしたら私は家族というものを知らないからそれを辛いと感じるのかもしれない。 家族というつながりをもっていればその後誰かとつながる必要性を感じないのかもしれない。 だがしかし、私の観測の限りでも家族だからといって本質的につながることが保証できるものでもない。他者と本質的につながることを指向しない人が子供ができたときにもつながろうとしないというイコールの関係にはないのだが、それは技能でもあるため、やはりその傾向はある。だから本質的に誰ともつながったことのない人というのは、そこまで少なくもないはずなのだ。 それでも人は人を求めないものなのだろうか。

恋愛は本質的に難しく、人の行為として高度なものである(誰にでも可能なものではなく、努力なくできるものでもない)、という話をここにつなげてしても良いのだが、脱線するのでやめておこう。

「人は人を求めないのか」というのはここ10年来、私にとって深い疑問になっている。 それは研究の一部でもあるが、もしこれが真であるならば、私のとしていることはすべて無意味ということになるだろう。 それは悲しいが、だからといって拒絶する気はない。それが真であるならばそれは真理だ。

だが、疎コミュニケーションに伴って自己指向を強めるのではなく、単に独りよがりになる傾向なのである。 これは生物的に間違っている。生存戦略として、弱ければ協調しようとするし、強ければかかわらなくなるのが普通だ。わざわざ他者を前提として自分の欲求を満たすというのは、生物的におかしい。 疑問はさらに深まる。


  1. 昔ウェブが文字サイズを指定していた理由は14ptや16ptといったデフォルトポイントサイズが大きすぎたという理由が大きい。そもそもこのサイズになった理由は主にビットマップフォントの都合なのだが、XGAの画面で14ptという文字は大きすぎて表示領域が狭かったのだ。

  2. テレビを見ている間は脳は停止している、という研究結果がある。

  3. 原典と主旨が全く違うので私は否定しているが、言葉にすれば我考える故に我あり (Je pense, je suis.)である。だが、私が言っているのは “There’s will, I am.” である 。

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音楽家であり計算機使いであり、ライダーであり声優でもある。

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