今の私を認識している人が気にしはじめるかもしれない事柄

職業、来歴

1983.5.25生まれ、仕事としてはイラストレータ、プログラマ、物書きを経て、中3の11月に音楽家となった。その後、お金をもらったということで、コンピュータインストラクター、家庭教師、MTPプロショップ店員、モーターサイクルインストラクターなどもやったが、「職業」として称すべきものは音楽家だけだ。

ヤマハ出身。才能はあまりない。本当に才能がある人からすれば凡庸に過ぎる。ただし、早々にファンがつくなど、魅力はあったらしい。才能の点で言えばモーターサイクルに圧倒的なものがある。コンピュータは2歳の時からプログラミングをしていたくらいだから、サラブレッドではあるが、それが才能かと言われると大いに疑問だ。ただし、ひらがなより先にBASICを覚えた。

サウンドクリエーターだったのだが、実際の仕事は圧倒的に共同が多かった。楽器はエレクトーン、及びドラム。また、ヴォーカルは5oct4st出るが、声が非常にピュアなため、ヴォーカリストとしての魅力を欠く。

長い隔絶を経て、現在再建中にあり、事実上の無職と言って良い。日々、活動ベース環境を作り、主に「フリーランスシステムインテグレーター」「サウンドプロデューサー」「シンギングソングライター」のいずれか結実した方へ、と考えているが、思った以上にてこずっている。長く無収入で環境構築していられるほどの資金を持っているわけではないので、あまりのんびりはしていられない。だからこそ、毎日まともに睡眠を削り、体を壊してでも必死でがんばっているのだ。

完全な有事型の私は「普通の働き方」はできない。しかし、今のギリギリに削り、突き詰める生活が辛いとは思わない。

交際

断絶のために旧来の友人とのつながりは切れてしまい、ほぼ知り合いもいない。名前を出すことが適切なのかは分からないので、匿名とするが、現状で私から見た親密度としては:

  • 4 = A(20代女性)
  • 3 = B(10代女性)
  • 2 = C(10代女性),D(年齢不明男性)

といったところ。これは相対化のためのもので絶対的尺度ではないが、少なくとも最大値が100以上になることは間違いない。また、私側からの主観なので、親密度というよりは「親しみ」というべきか。

それを特に寂しいとは思わない。ただ、元親友である優実に対する不誠実な対応を、ただただ悔いるばかりなのは事実だ。

ちなみに、彼女はいないが、特に積極的に募集しているわけでもない。これは、今だけの話ではなく、恐らくは将来的にもそうだ。依然、条件をクリアし、また受諾する限りにおいて「早い者勝ち」であることも変わらない。ただし、依然よりははるかにqualifyは厳しくなった。本人が条件に合致すると言うだけではqualifyとはみなさない。

そして、それに合致する人はいない、というのが私の中での絶対となっている。

孤独は嫌いではないし、孤高たらんという気持ちもあり、問題ない。少なくとも、交際が堕落につながるようなことは繰り返すまい。

また根本的に、私は物理的にも、誰かの心にも安寧の居場所はないのが歴史的なものだ。人が壊れるほどの情熱を捧げられたことは人並みから外れると思うが、それは儚いものだった。

それにしても、このような書き方はやや問題がある。八方美人、あるいは不誠実と感じられるからだ。そのように感じるかどうかは、親密度よりもその人のメンタリティや性向による。だから私としては、そのスタンスを明確にすべきだと思うのだが、なんといっても相手のプライバシーにも関わるし、私側の感情を書くことで気分を害される可能性も否めない。そこで、ふせたまま少し述べよう。

私が「気にしている」、つまり能動的に様子を見たりしているし、もしもその人に何かあった場合に、私には直接なんの関わりがなくとも影響を受ける人は、現状2人。Bさんと、Cさんだ。それ以外はよほどのことがない限り、時と共にながれていくだろう。(私はこの点、極度に困難だと言っていい。気にしてしまうし、執着してしまうのだ。)

好感度、という話をすると全く話は変わってくる。これがつけられるレベルにあるのはCさんだけだが、こちらは非常に高く評価している。人として、私が何より大切だと思うことを、十二分に備えているからだ(これで、Cさんが誰であるかは、推測可能だろう)。なお、「好感度」は様々に捉えられるが、「人として好ましいと思う度合い」の話をしている。

public/popular personについて

元々音楽家をしていたため、「有名人」は身近にいた。加えて、元よりTVに対して権威も価値も感じず、TV等の「メディア業界のノリと感覚」がとてもとても肌に合わないことがあった。

そのため、「有名人」に対して特別畏怖したりありがたがるような感覚はない。加えて、爬虫類脳がかなり弱いため、見目麗しい女性にもそれほど惹かれない。良いものだとは思うし、鑑賞には良いが、交際するとなるとデメリットのほうが気になって仕方ない。見目は前提としての価値ではなくプラス補正なのだが、大体にしてそれに伴うリスクを含んだマイナス補正の方が大きい。

音楽に対してのシリアスさがあり、また「関係ないものを関連づけた評価をしない」というのもあるので、ぬるい音楽をやっている人に対しては非常に厳しい。そもそも音楽の話は大概の人と噛み合わないので、話題として避けるほどだ。友人だからという理由で庇ったり贔屓することもない。あくまでも対象事実のみを以って評価・精査する。

だから、現在流行している女性群舞アイドルに対しては自ずから厳しい見方になる。「興味がない」は「詳しくない」ではない。音楽的なことに関してはそこらの人とは比べものにならないほど詳しい。が、メンバーの名前やら嗜好やら顔やらという話になると全くわからない。

ちなみに、昔くにたけみゆきさんのミニライブに行った時に、とても歌に集中できるようなものでなかったことも、回避する理由のひとつだ。くにたけさんがアイドルだとは全く思わないが。

アイドルファンなどには何やら独自の序列やら文化やら不文律やらあるようだが、「アイドルに対してアイドルとしての興味を持っている」わけではないので、そのあたりは全く分からない。接することがあると、どうしてもそのあたりでどのような配慮をすべきかわからず、「やりづらい」と感じることが多い。実際は、空気を読めなくても、ファンに恨まれても、「人として、平等に接する」と信念を維持することになるのだが、波風を立てないために遠慮することはある。

なお、今は特に女性はpublic/popularな人というのはとても多くて困る。ネットアイドル、ニコ生主、メイドカフェ店員などなど、女性の半分は「こちらがわとそちらがわ」を作っているのではないか、とすら思う。さらにいえば、私にはこれらの区別や、境界がいまひとつ分からない。

平等が原則だが、そのような人を全く同一に扱うわけではない。影響力や、周囲への身上や、様々な制約を考慮するためだ。

加えて私の側から見ると、そのような人に肯定的にとられるのは、やはり「ちょっと」嬉しい。これはhacker的な「困難な対象を攻略した」という感覚があるのだと思われる。もっとも、これは性欲を示すような邪悪なものではなく、むしろもっともっと子供じみたものだと言っていい。その意味で、配慮の発展形として、「選ばれた喜び」とでもいうべきものは存在する。

ただし、それが阿ることを選びうるかといえば、それは全くないと断言できる。

宗教等

私は完全な無神論者であり、信じるものは何かといえば私自身、より生活には私が積み上げてきた歴史が築く、その理知と感性と習性と心を信じる。

また、私の発言は全て私の完全なオリジナルであり、誰かの模倣や焼き直しではなく、ましてや世間に流通するものに同調したものでは決してありえない。

そして私は嘘を何よりも憎む。いかなるものであれだ。さればこそ、私は私が信じる道を歩み、私が心から思い、言葉にすべきだと思えばこそ口にする。

13年前からくりかえす「言葉に心の重さを」という信念は何一つ変わりはしない。

私は極めて重い人間である。

※当然ながら、この「親密度情報」はlegacyなものである。好感度情報も含めて、ここにある情報のいくつかはあなたがみた時にはlegacyなものになっているかもしれない。

About haruka

主宰。
音楽家であり計算機使いであり、ライダーであり声優でもある。

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