錦織選手健闘とその裏で

昨日はテニスの全米オープンで盛り上がっていた。チリッチ選手の見事なプレーに手も足も出ず、お手上げポーズまで見せたが、最後まで腐らず投げずに粘り強く戦った錦織選手は素晴らしいと思う。もちろん、wonderfulなプレーをみせてくれたチリッチ選手も多いに讃えたい。

と、純粋に楽しむ分にはいいのだが、ノイズも色々あった。

まず、ベスト4にあがった時に、随分と「おめでとう」という言葉を聞いた。それは違うのではないかと思うのだ。他人事ならばそうなのかもしれない。おめでとう、よかったね、と。しかしこの場合、初優勝の夢を背負わせているわけで、言っている人の主観から言えば、望むを叶えてくれている状況なのだから「ありがとう」が適切なのではないか。

そんなことを思っていたら、今度は定型フレーズの「夢をありがとう」というのが出てきた。これは、かなり気分が悪い。夢をありがとう、という言い方は、「夢を見させてもらったよ」という言い方だし、ということは勝手に人に夢見て、しかもそれが叶わなかったことをその相手に向かって言っているのだから。

そうではなく、素晴らしいプレーを見せてくれたことに、感動を与えてくれたことに、楽しませてくれたことに感謝すべきではないのか。

もうひとつ話題になっていたのが、前日、車椅子テニスの国枝選手がグランドスラム完全制覇を果たしたことを大々的に報道しないのはおかしい、という発言だ。これは極めて偽善的で、かつ差別意識に満ちていると思う。

もちろん、国枝選手は素晴らしい選手であり、その偉業を讃えるべきだ、ということに異論はないし、事実私は国枝選手の偉業を讃えた。「勝って当然」という日本人選手はまずいない。実力的に間違いなく世界一だという日本人選手もそうはいないし、国枝選手はもはや絶対王者なので、それはもう素晴らしいアスリートだ。

だが、「注目すべきだ」「讃えるべきだ」の意見にある「そうすべき理由」は「障害者スポーツだから」なのだから、それは完全に差別だろう。注目してもらえないのはどのマイナースポーツでも同じだし、例えばモーターサイクルのロードスポーツでは2009年に日本人世界王者が誕生したこと、世界耐久選手権では日本人世界チャンピオンが結構いること、そしてトライアル選手権にも世界王者がいることをどれだけの人が知っているだろう?インラインスケートでは日本人兄弟があまりにも強すぎて実質的な殿堂入りとして(競技自体がしらけてしまうから)出場していないことをどれだけの人が知っているだろう?

「障害者スポーツだから関心を持たなくてはいけない」という偽善的な差別発言は本当に気分が悪くなる。

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音楽家であり計算機使いであり、ライダーであり声優でもある。

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