婚姻とか家庭とかそのあたりの話

同性婚と、夫婦別姓の話で世の中騒がしい。
だが、感情論で言っているため、非常に危険だ。

基本的に、私は寛容であるべきだと思うし、制約するのではなく自由を与えるものであるならば歓迎すべきだと考えているが、だがそれが節度を越えてやってはならない領域にあるもの、例えば倫理的な問題、などは別だと考えている。

夫婦別姓と家族

現状をまとめてみよう。

  • 任意の人物の精子から妊娠可能(精子提供)
  • 母以外が出産可能(代理母)
  • 女性同士の子が可能(2つの雌遺伝子を用いた受精卵の作成)
  • 第三者が育児可能
  • 離別は普通にある(というよりも、離婚しないほうが少数となっている)
  • 別居も普通にある(単身赴任などを含む)
  • 生活が共有されることを前提としない(顔を合わせることがないような生活形態を含む)
  • 婚外交渉が可能
  • 家事は社会的に当番制を推奨(分担と当番制では意味が違う)
  • 相手に対して何かを要求することはDVとしての提訴を推奨(DVの十分要件として、相手のことを知ろうとしたり、相手に何かを求めることが含まれている)

という状態だ。
つまり、遺伝子的なつながりは前提ではない。生活を共にしていることも前提ではない。性交渉が夫婦の証でもない。相手を知りたいと思うこと、あるいは相手に何かをしたい、してほしいと思うことすら禁じられている。

近年の立法傾向と、メディア報道から判断すると、夫婦はこうあれと社会的に要求する形態が、ルームシェアやセックスフレンドと何が違うのか、私には全く分からない。

家族の定義とは何か?

夫婦の定義とは何か?

事実上、婚姻関係をそうたらしめるもの、つまり夫婦・家族を定義するもの(定義であるから、個人的な価値観によって、本人がこれを以って夫婦・家族であるとみなすということは関係がない)は、もはや行政の中にしかない。

すなわち、戸籍であったり、税制であったり、社会保障であったりによって夫婦、家族が認められるだけだという話だ。
だが、「性別を変更して共有する」というのは、それらの中で唯一対外的にそれを示すことができる手段である。結婚式をしようが、子供がいようが、夫婦であるという証明にはならないからだ。
夫婦別姓ということは、確実にその重要なキーをひとつ削る。既に税制や社会保障に関しては、夫婦共働きを半ば強制している社会においては両者のつながりはかなり弱い。夫婦別姓が、「夫の戸籍に入るなんて差別だ」という主張へのステップになる可能性は、十分にある。

ここで、夫の姓にするか、妻の姓にするかというのは、全く別の問題である。女性が男性に属して云々と文句を言うのであれば、それは見当はずれだ。この問題において、別に逆に常に妻の姓に合わせる、ということにしたところで問題は生じないことになるのだから。

夫あって妻があるということに対して夫の所有物でないと叫ぶ向きは結婚すべきでない。
なぜならば、戸籍的にも税制的にも、また社会保障的にも、夫あっての妻とされるからだ。それによって優遇されるのだし、子供についても両者を互いにありきで成立させる。
逆の見方をすれば、妻あっての夫である。妻がなければ夫たりえないのだ。
同様に、父なくして母足り得ないし、母なくして父足り得ない。

それは、個の領域ではなく、家族、共有の領域なのだ。
共有の領域においても個を主張し、ふたりでひとつなんて耐えられないというのであれば、結婚などしなければ良い。
別に日本では結婚しなくても恋愛も同棲も出産もできるのだから。
それで社会保障がないと文句を言うのであれば、その仕組みを否定しながらその仕組みの恩恵だけ要求していることとなる。

遺伝子と同性婚

同性婚の方は、もっと感情で論じてはいけない。

現在のところ、雄遺伝子の交配は成功していないが(受精卵の作りようがないので当然だ)、雌同士の交配は成功している。XX染色体遺伝子の交配になるので、子供は必ず雌になる。

これは非常に危険だ。現在の科学は、制約しなければ人類を簡単に滅ぼしうる。
これを理由に、男性カップルの結婚は良いが女性カップルの結婚はならぬ、としても良いのだが、それは差別だと感じる人が多いだろう。

もしも

  • 男性カップルは両者とも必ず男性のみと性交渉し、同性との交際が禁止されても女性と性交することはない
  • 女性カップルは両者とも必ず女性のみと性交渉し、同性との交際が禁止されても女性と性交することはない
  • 男女カップルは両者とも必ず異性のみと性交渉し、同性婚が可能であっても同性と性交することはない
  • 同性の子は決してもうけない

という前提が成立する場合はこれは大した問題ではない。
なぜならば、許容しようが禁止しようが、結婚、出産する人と遺伝子は変化しないからだ。

ところが、実際はそうではない。これに対して受容的であれば、少なからずそちらに寄る。
その寄る「度合い」が問題だ。誤差範囲であれば問題ないし、無視できない割合であれば禁止しないと人類滅亡に向かう。

という問題であるにも関わらず、影響範囲に関するまともな調査がなされていないように見える。

恋愛とか結婚とか、個人の感情の話ではない。個人の感情で人類を滅ぼせるか?ということだ。
私は別にそれでも構わないのだが、少なくとも社会が社会の利益よりも個人の感情を優先して人類滅亡へと向かわせるべきではないだろう。

なんでそれで滅亡に向かうのか、というあたりが理解できない人は、ちょっと数学と生物学を勉強する必要がある。

仮に人類には影響のない範囲だとしよう。その場合でも社会を破滅させる可能性はある。
つまり、同性婚を許容するのであれば、社会的にその関係を証明する部分、戸籍などについてはより強固にあらねばならないということになり、夫婦別姓などには反対するのが一貫した態度ということになる。

もちろん、社会の崩壊を企図してリベラルを主張するのであれば、両者に賛成するのが一貫した主張である(私は別にそれが悪いとも言わない)。

夫婦・家族の破壊とは

実は、これらの破壊は何度か試みられたことがある。
家庭への帰属意識は国家への帰属意識の妨げになる、という考え方からだ。

近年ではロシアが(ソ連が)それを行い、結果的に治安が著しく悪化し、女子が陵辱される犯罪が多発するに至り、急激に家族を大切にする政策に舵を切った、ということがある。
その因果関係の証明も十分でないとは思うが、十分にありうる。

その件に限らず、家族関係を破壊すことは、国家破滅へのカウントダウン、というのは歴史が証明しているところなので、極めて危険な状況だ。

ダメだという話ではない。ちゃんと検証すべきなのだ。
特に推し進めるのであれば慎重でなくてはならない。目先の欲望にかられて、自分が望むものすら破壊してはならない。

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音楽家であり計算機使いであり、ライダーであり声優でもある。

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