今の私を認識している人が気にしはじめるかもしれない事柄(2):たらしっぽい?

前回の話で(見ていないのだろうけれど)納得していなさそうな人や、私に対して好意的かつ警戒している反応を示す人がいるので、こういうことかと推測した。

なのは、私のfashionに「心と同じ重さで言葉を紡ぐ」というものがあるということだ。心からそう思えばこそそう言うし、例え特定の言葉が望まれること時であっても心からそう思わないのならば口にすることはない。ローカルにもグローバルにもだ。世辞も言わない。嘘をつかないのが心情だからだ。少なくとも、私がそう言っているからには、それかぎprimeかどうかは別としても、間違いなく本気でそう思うということだ。

私は好きだとか可愛いとか言う事にも躊躇いはない。そこに深い意味などなくともだ。例えば相手を落とそうとか好かれようなどという心は露ほどもなくとも。そして恋愛感情などなくとも、そう思うのだからそう口にする。それが誤解を与えるというのならば確かに「たらしっぽい」のかもしれないが、それはモテる男に対して言うことだろう。それでキモがられることは意外と少ない程度の私に言われてもそれほど嬉しくもないだろうし(否、この言い方は失礼かもしれない。チャットなどでは、直接、私にそう言われるのがとても嬉しいという女性がいることを確認できているからだ。過去の話だが)、それによって問題が生じる可能性は高くないと考えられる(単に褒められて嬉しい以上の何かがあろうか?これは前述のケースにおいてもだ)ため、別に心から賞賛することが「たらしである」ということにはなるまい。

重要なのは、私に下心が乏しいことだ。性行為が基本的に好きでない(潔癖症だし、有機物アレルギーだから、かなり辛い部分がある)から、そのようなことを望みはしないし、しかも恋愛を放棄しているので親密といってもある程度以上には極めてなりづらいのだから(大体、相手が希望したところでqualifyなのだから、流れなんぞ完全に断ち切られる)たらす意図はない。単純に思ったから言っているというだけのことだ。伝わればいいな、というくらいか。言葉をかけることには良好な関係が築ければいいなというのもあるけれど、それは「仲良し」以上の意味ではない。

もちろん、その結果については保証しないが、それに責任をとれというのならある程度はそう覚悟もしている(覚悟の程度ではない。責任の限定の話だ)。言葉に対する責任をとれというのならば、容易い御用だ。もちろん、そう言うからには私のやり方でその証明を行うことを妨げるべからず。

本気でそういうことを口にするのだから、「激重」のはずだが。

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音楽家であり計算機使いであり、ライダーであり声優でもある。

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